ネットという言葉。テレビの反語みたいな使われようをするのに違和感を感じないのだろうか。.txt
desktopを整理していたら、昔書いた、書きかけのテキストが出てきたので、貼っておく。 こんだけ上手くない文だと多分自分のだと思うので。2008年1月2日、5:46:23の文面。
ネットという仕組みはテレビのためにあるわけでもないのに。
最初にネットはテレビを凌駕するであろうみたいな概念を定着させたのはホリエモンだと思う。
TVを選ぶかネットを選ぶか、みたいな広告はライブドアになって初期に、駅貼り広告などで行われていた。
今思うと着実にその思想を実行に移していた。
途中から彼自身がテレビ出演の広告効果に目覚め、自分がメディアになってしまったきらいはあるが、そこまでネットの目標はテレビの代替ではなかったはずだ。勿論IPTVなど、ネットを通したテレビ配信は開発されていたが、ネットの中で単に技術と帯域を使えばそういうものができるというだけで、今のようにテレビ対ネットの図式自体が存在しえなかったはずだ。
彼の考えは大筋では誤っていなかったが、フジの切り崩しであれが放送業界側での、ネットアレルギーの一因を作ってしまったし、
(ここで文面が切れている)
ネットを巧みに操るには今、CGMというか口コミを操作したりリンクをやらせで増やしたりといった、明らかなやらせ行為が必要となっているが、ライブドアのあれはそういうものではなく、今考えるとかなりバッシングマーケティングを活用したものとなっていたと思う。
精神論というか、かつてはホリエモンの作った大枠にに実態がついていかなかった。彼はブログシステムとトラックバックの有用性がわかっていたが、当時たとえばライブドアのブログサーバはたびたび落ちたし、問い合わせには返信すら返さない、一部の担当者は幼稚で、なにかとブログで失言し今でいう炎上状態ととんでもない状態であったが、技術陣の尽力で最後に彼が散る頃にはびくともしないサーバになっていった。
(終わり)