日本は、人のことを考える能力が低くないか?
学べるはずだしいると思うしあると思うし、それはわかっているのかもしれないのだが、テーマというものの前では抹殺されている。確かに海外旅行にいくと海外の雑駁さや粗雑なところばかりが目につくのは確かだが、そのくらいのほうが世界では大勢を占めているのだし、日本が特殊な進化を遂げたのは事実だが、別にそれを誇りすぎるのもどうかとはいつも思っている。
おもてなしは先回りして用意することであるが、あれを売りにしてしまっていいのかな、という気もしている。あれがいいという人もいるかもしれないが、正直旅館の中居にさえ辟易したことはないだろうか。聞いてもいないのに酒のうんちくを披露しては自分の好きな酒しか飲ませないで客のリクエストを無視してくるような過干渉してくる飲食店店主みたいなのにいらっとしたりしないか(そんな頻度ではあわないと思うが)。そんなのは僕が思うことでしかないのだが、日本人全般にいえるのは、相手のことを本気で考える能力が異常に低いのではないかなあ。だから女は別な生き物みたいな論調がちょっと前までは主流だったり、一流大卒以外は人間じゃないみたいなことをいうひねた大人がいたり、隣の国の出来事を報道バイアスかかったものでしか理解できないみたいな人が増えていったりしている。
ガラパゴス(的な閉鎖社会)は独自文化が生まれるのでそれはそれでいろいろいいこともあるのだが、逆にいろんなことに気を回す能力が低すぎるのではないでしょうかねえ。外国要人に福島で風評被害を取り除くという理由で食事させるのもいつも、日本国がそれで国際世論からどう見られるかとか考えてないのかハラハラとします。福島は何も悪くないのだが、海外の要人を、日本にだけ国益のある風評被害払拭という体に巻き込むべきではない。
まあ、そんなことは諦めているので、来週末は旅に出ます。