個人に余裕のない日本






何を正しいと見るか

先日、テレビ(「じっくり聞いタロウ」の特番・テレビ東京)を見ていたら、北朝鮮の洗脳的な『生活総和』(1週間を振り返る集会で自己の生活態度を「反省&自己批判」するとともに、同席者から1人を選び他者批判をしなければならない)が「人と人との関係を断絶させるシステム」としてとり上げられていた。

北朝鮮のように規律で縛っていくことで共産的な流れを維持している国では、資本主義諸国から非難を受けるようなシステムは様々に構築されているのだろう。自由という体裁になっている日本側の生活から見れば、とてもめんどくさい仕組みにしか見えないのは確かだ。

日本も経済洗脳国家なのではないか

今の日本には(もしそれに準ずるものがあるとすれば「人を縛りたい」一部の宗教団体や企業だろうか)基本そういう相互監視的なしくみは表立ってはないとはいえ、日本の生活システムも、特に労働の問題を中心とするが非常に子供すら育てづらい結婚すら難しい仕組みが作り上げられている。要はなんとか暮らせるくらいのカネしか渡さないからだが、元はといえば、自分の利益だけを見ている経済主要団体が非常によろしくない。

かつて、新卒の給料は、まあもっと出ていても、(東京の場合で)大卒であっても手取りで十数万だったはずだ。今も、新卒の給料は結構十数万のままが提示されていたりする。失われた20年、いやそれ以上であることを実感するのには、これが一番わかり易いのではないだろうか。25年前と変わらない、そんなカネで暮らせるか。

企業オーナーが相当な配慮でも行わない限り、本人がよほどしっかりとしていないと生活が2の次となる日本社会はもう正直、どうでもいいなと思っている。正直、国も経営者のほうしか見ていないのだから。

人の幸せを最優先にする企業が少ない日本に生まれたことはあんまり良かったとは思っていない。娯楽に関しては素晴らしかった時期もあるが。たまに幸せを追求しているような企業があると、マスコミはえらく特別な捉え方をする時点でおかしいから。


こうやって、国みたいに主題だけをでかくテーマにして語ると気持ちいい上に何も解決しないから気を付けなければならない。年をとってきたと思うし、細胞死んできたなと思う。

50代のおっさんです。