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20代の頃からいわゆるオーバードーズで亡くなった作家の、火葬場で親が一言挨拶するだけの葬式や、僕が制作を1回やった劇団の女優の病死、同僚編集者、先輩の作家、ゲームクリエイター兼経営者の葬儀、カメラマン(=写真は2017年10月、その人の祭壇に展示されていた遺品のカメラ)、ライター、その他さまざまな葬儀に出ているが、一部には自殺なのだろうか、気がつくと埋葬されていてどこにいるかもわからないという人も何人もいる。

我々の世代の葬式も子供のいない人が多いから結構な簡素なものになるんだろうなと思う。うちもこの世代で墓じまいになるからね。

霊気はあまり感じないたちなのだが、ゲーム系の人の時だけは、部下と2人とも同時に「いま、肩叩かれたよね」ということがあった。だいぶ前の日記かどこかに書いた気がする。平岸、HTBの近くだった。

最近寝苦しいのでそんな人の終わりのことを思い出すようになってるんだろうな。昨日は法事だったし。

と2月19日に書きなぐって未公開になっていたのでとりあえず公開だけしておく。

なにがあっても

 怒濤の一週間が過ぎていく。いつも怒濤なのだが。
 人はみんな順番にいつか死んでいくものなのだ、それが早いか遅いかだけで、この世の中のすべての人は必ず死ぬのだ。しかし、そんなことを意識しないように世の中はなっている。その事象の近くにいる人だけがそのことを意識するのだな。
 ということを考えながら歩いていると道を行くあらゆる人の死に顔を想像してしまう。失礼ではあるけれども。
 生きている人を見ながら時に亡骸を考えるのは、そういう趣味ではなく、僕の死生感なんだと思う。