選挙のテレビに見る馬鹿さ加減

文章力というものがない。それはまあ後から読み返してみただけでも、なんか(言葉が)抜けててそれで伝わらないなんてことがあるわけで、国語は得意ながら作文の基礎的な文章教育が抜けているからどうしょうもないのだ、あとから見返して抜けているところを入れ、かつ文章を短くすることで読める文くらいまでは調整することはできるのだが、かきっぱ原稿も多いので、そのまま読者サイドにも狂人っぷりは伝わっているのではないかと思う。

さて、きのうは参議院選挙だった。投票、ここのところは全部に行っている。20代の頃は忙しすぎたので飛ばし飛ばしの参加だったのだが年をとってから土日は(基本)仕事を入れないルールにしているので、行くことができるようになった。

しかし、(都知事選の報道蔓延のせいで)前日まで世の中で全然盛り上がってなかった参議院選挙なのに、開票日だけは手のひらを返したようにTVが扱っててなんだろうなあと。ただ、長時間の生放送ということもあってか、各局なりに本音をぶちこんではいましたが。問題はテレビが本音をぶち込むようになった理由がすべてテレ東の選挙特番が好調だったことから真似てるだけだってことで、その工夫のなさは、浅はかにも選挙に出ている人にキャッチフレーズを勝手につけるテレ東のオリジナルプレイのマネが蔓延したことだけで全てわかりますね。さらにフジが創価学会や日本会議や共産党に切り込んだって、みんなマネレベルの話でどこまで落ちるんだろうねフジ。

他の各局だって池上みたいにしろって各局号令がかかったっていうだけのことでしょう。

番組によっては選挙の期間中のルールのおかしさを指摘したのもいくつかありましたが、じゃあそのすきをついて裏ワザ的な逃げをやるとか、うちはそんなことがあってもこうやるとか、テレビ制作側に(かつて存在した)隙間的な発想が全然ないのにも驚きますし(いまのテレビの現場は発言力のない若手が支えているから構造的な問題か)、ここぞとばかりにネット御用達のバカな学者とか呼んでは失言させるみたいなのもなんだろうなあって思いますよこの国。あと舛添さんの都知事退陣以来、国際政治学者という職種の人が出てくるとその職業への信頼が揺らいでいる気がします。それはどうでもいいんですが。

政治的にはどこが勝ってどうなっても、(そのへんで容易にテロが起こる国にならない分には)たいして変わらずそう大変なことにはならないとは思いますが、みんなが自民に入れるのは改憲とかじゃなくて経済政策が(成功しているかは別にして)まともなのがあそこしかないからにほかならなくて、他党は自党の理想を追ってるだけで何にも解決策を持たないっていうのが実情で、超現実主義だということですよね。

あそこで、逆に何も考えて居ないくらいの(イメージのある)石田純一にはぜひとも都知事選に立ってもらいたかったなあ。「都庁でも靴下は履かない」とかいうバカな報道のされ方はなかなか最高だが、バカにされているほうが実力を発揮した時に凄いと言われ易い。「有名人に弱い」東京都政選挙のだめっぷりを象徴していて面白かったのに。あのとりやめっぷりは逆にキャラクターとして素晴らしかったけど。

どうでもいいことを書いている結果、マクラとまったく関係ない話になってしまいました。作業をやろうっと。

山と警告

最近高尾山へ登ったところ劇的に体内の数値が改善した。 糖尿だったのが、一般範囲まで血糖がおちてきたのだ。といっても食事(奥さんに野菜類を中心にしてもらった)も自制(前は夕方に1食食べていたが、間食は大豆系バーのみに変えた)も含めての数値改善だが、1ヶ月でわかりやすく効果が出た形に。

たまに山に登るのはありかなという気がしてきた。1週間くらい体痛いけど。登りの負担と逆のところが丁度下りるときには刺激されるというのが、丁度良いのだと思う。 

ここからは別の話題。

・「本よみうり堂」(読売新聞社)の電子書籍サービスが撤退していた報道があった。電子書籍サービスは必ず(電子書籍サービスの)大手と、大手と合併できるところだけが残るから作る側は絶対に小さいサービスで自分とこのファンだけに売るとかは考えないほうがいい。

絶対撤退した時に、サポートと後付の言い訳が面倒なことになる。

といってもやる前からそんなこと考えてどうすんだとかいって無思考なまま突っ走るのが日本企業。サービスを行う場合は撤退時の処理によっての信用リスクを考えないとホント沈みます。

いまでこそたいしてユーザーが多くないサービスばかりだから(現在は問題が起きても)2chで取り上げられるくらいだけど、消費者とそういう貸与契約になってなかったら消費者が被害者の会組んで争ったら(サービス側が)負けるし、本来消費者は(サービス終了時に)代替手段を確保されえるくらいは守られるべきだ。

いつかそのくらいの問題になるだろう。

 写真は街画ガイド提供。

そわっとする

いわゆる削除依頼的なものが来た。


しかしサーバ屋さんの法務は律儀だな。メールと電話で連絡が取れないので、〒で送ってきた。

いままではこの手の書類を出すことはあっても、受け取ることはなかった。

まずブログ関係はすべて削除依頼って直接フォームから送られて来るもので、それも多くは事件が終わって、罪を償った人が「記事削除して」っていう類のもの。本来は地域治安の記録として残しておきたいのだが、容疑者・犯人表現のあるものはすべて記事削除しているはずだ。
著作権で言われているような気がするが、あてがわからない。新聞だろうか。であれば基本的には必ず引用部の長さと同一長以上の本文解説を書いており、また僕は全文転用はやらないので、引用の要件を満たしているはずなのだが。

他人の原稿を自らの著作と騙って無理やり暴力的に削除していく、あのSEOの狂った会社とかじゃねーよなー。あそこかなー。

と、普通はこの通知書来たら、理由とか相手とか記事内容とか書いてあるものなのだが、なんにも書いてないのだよこれ。

誠意を持ってあたっていきますが、書面に(何も対象が書いて無く)不手際がありすぎでそれに驚いた。

読者さん

かつてこの日記ブログにも常連読者さんがいた。男性の方と女性の方はよくコメントを寄せてくれたのだが、Bloggerに外側から貼っていたコメントシステムが廃止となったので、泣く泣く彼らの残したコメントはそのまま消えた。いま考えると酷だったなとも思う。

ブログのコミュニケーションは気がつくとコメント欄からソーシャルブックマーク、SNS共有へと変化し、検閲入るタレントのアメブロと、2ch的に機能するまとめサイトのコメント欄以外は実質的に機能しない時代へと変化していった。

トラックバックが海外スパムで廃れていったように、ブログ界隈というのも僅かながら変化しつつあるのだ。遠くにきたなあ、と感じてしまう。

かつて、僕もSNSを作ったことがある。レンタルSNSが全盛の時代にSo-netがやっていたサービスを利用したもので、新宿lifehackという恥ずかしい名前だ。それでも百人くらいは会員になってくれただろうか。トランスジェンダー感のある方などよく日記をかいていただいたし、気が狂った人の巣窟にもなっていた。

これもSo-netがサービスをやめてしまいかつ移行先やバックアップ手段を用意しなかったことからゼロとなってしまった。システム開発元の手嶋屋も終了したあとかなりしてから、webでも後継レンタルSNSはやったものの、当時はでかいこといってたのに移行処理は全然やらないのでSo-netユーザーは宙に浮いた形に。いまだあの会社(So-netと手嶋屋)は僕はなんだかなと思っている。わざわざマイナーな立地で日記を書いてくれた人の心を考えないんだもの。

最近だと僕は使ってないのですがニュースサイトに、Ai制御で検閲された荒れないコメント欄つけて滞在時間を伸ばさせるサービスが終了したのもありましたが、コミュニケーションサービスでシンプルに商業化していくのは難しいんでしょう。

そんな不可抗力で消えてしまうサービスが多いなかで、シンプルなブログというシステム本体はまあスマホ広告枠をサービス側が取ることでなんとかしてるところが多いんでしょうけどなぜかサービスが終わることも少なく、もしなくなってもアメーバのように最悪テキストコピーでも生き残れるのだから、やっぱり優れている仕組みなのではないだろうか。

しかし、ブログ自体は残っても、あのシンプルなコメント交流というのは戻ってこないのですな。あのときの読者さんがいまどうしてるかは知りませんが、わざわざこんな辺境まで来てくれて、ご発言いただいたことに感謝するとともに、幸多かれと祈ります。

愚直に

社会のダニみたいなところで生きているので、時折目的を見失うことがある。
目的なんてあってもなくても、適当なところで打ち切られるので別にいいのだが。

それにしても、一緒に仕事をしていた人とかお世話になった人がよく亡くなる。
いろんなことに守秘義務やらNG事項やらなにやらあるので、
すべてが終わってからいろいろと書こうかと思っていたのだが、
いろいろ終わるといよいよ自分にも番が回ってきて
コンテンツなど書く余力なくなってしまうような気がして、
今はまだ仕事して覚えているうちに書こうかな、という気持ちにもなっている。

先立って行った人は、バブル期にものすごく働いていたり、もしくは栄養的や睡眠的にダメだった人が多いので、特に何かの陰謀がーとかいうのはないのだが、

最近原発事故なんかはほとんどなかったことになっているのは気にかかる。

まずトリチウム回りはほとんど議論されないままとなっていることと、それ以外にも、あれだけ放出しておきながら長期的に見た時に「まったく影響がない」なんてことはないわけで、初期に電波さんの適当なことを抜かしてる厨が多かったことと、いわゆる2次被害防止のための言論封殺がなぜか個人レベルでも行われていて、なんだかなあという感じになっているよね。もともとの報道自体、適当なジャーナリストが適当に書いた結果だからしょうがないけど。

広告代理店筋のように書くとしたら「自業自得感社会」な感じ。

例の裏金で電通の名前が出なかった問題なんていうのは終わってるもいいところで、早くああいう組織は解体されてほしいし、電博にヘコヘコして金持ちになろうと思っているアーティスト風情も終わってると思う。といいつつネット広告もかなり電博の関連会社から広告が入ってる時代になってるけど。

とか適当によくわからないことを書いて終わり。

新大久保という土地

いまは新宿よりは新大久保にいることが多いのだが、新大久保自体は新宿にいたころから裏新宿というニュースサイトをやっていて、ウォッチ対象で10年くらいすべてのニュースを残らず読んでいたので、かなりわかっているつもりだ。特定のエリアはカード偽造だの、盗難だの事件が多かったが、おおむねおとなしい土地柄ではあるのだ。このエリアには水商売や外国人イメージがあるが、実は三流芸人や物書きが多い。新宿に近いにも拘らず、家賃がやや安いから(タモリ倶楽部ではネパール人が安さを否定しているが、地の利を考えれば安い)ということがひとつ。書き物に刺激がほしいからというのがひとつ。芸人の場合は事務所や小屋が近いから、おおむね交通費がかからないというのがひとつ。あとは淀橋市場が近いので食材、特に野菜の物価が安いのだ。

しかし男の物書きの人は実に上から目線で、外国人や街娼をみては腐す。街のおっちゃんを見ては腐す。ということを妻もどうかとは言っていたが、確かにそうで、自分も新大久保の住人であることがどう見られているということがわかってはいないのだろうな、とは思う。

「自分はそれら街における人々よりも上流でいたい」。そんなすさんだ心ではろくなものは伝わらないし、その空気に同調する悪いところ大好きっ子くらいにしか共振されないのだが、外向けにはそんなスタイルがかっこよく見えるのだろうな。

歌舞伎町(実際は新大久保寄り)に住んでいたときに銃声は普通といって凄みをつけてた音楽家先生のおっさんしかり、裏系専門の人しかり、ライターしかり、写真家なり、もと暴走族なり、歌舞伎町を商売にしている人全体がそうなんだが、現実をベースにはしてるんだけど、作家ということでは、皆虚飾が好きなの。それは新宿や新大久保にはリアルな世の中にはあまりない浮世離れした部分や闇があるからなんだろうけど、書かれてること100%鵜呑みにしたらだめだから。正しいのは50%くらい。

エンタメで見るそれらは街に暮らす人から見たらなにそれ、アホか、お前がおかしい、くらいの話で。昨今はそれ以外に、デモとかいっては憂さ晴らしをする輩の関係で右左を持ち込んでくる人が増えたが、もちろんこのような多文化の状況ということでかなり主張の強い窓から国旗だしているようなお方はもともとこの街にもいるが、元からの住人の右寄りチェックして文句いってるような人は基本的に他所の人なのだ。基本的にこの街は許容性が高く、どちらの方だろうが、普通にしていれば普通に付き合うし、ほっといてもくれる街なのだ、だから余計な街への介入は正直迷惑である。

昔はコロンビア人やペルー人が仕切ってたり、街宣車ばかりいるような街だった時代もあったのだよ。トカレフが普通に手にはいる時代もあったし、青竜刀ぶんまわす人もいたし。その頃に比べれば、いまはかなりまともにはなっているんだよ。以前は元気だった韓国と、大久保よりの中国系の元気はなくなり、ベトナムとネパールが躍進しつつはあるけど。インドネシアや台湾も地道にはある。

まあ各国カルト宗教系の勧誘とか韓国の問題をそのまま国内に引き継いでるのや、北の問題がそのままここにある総連とかはあるけど、それでもかなり良くなったよ。女性が歩ける街になったんだから。

とにかく歌舞伎町や新大久保でモノを書く人は、自分を優位に置き、表面だけ見て人を貶めるな。

そんだけ。

エイプリルフールはもともとPV増加することが理由で流行ってたんだがそろそろ止めてもいいのではないか

 インターネット初期の頃はものすごくエイプリルフールが活気づいていました。あの頃は嘘のつもりでそれが本当になるというパターンもかなりあったので夢もある時代だったのですが、日本有数のメジャーサイトのエイプリルフールを管理人が目の前でデニーズにて「今年のエイプリルフールはXXで行こうかと」とか考えてたりするのを傍観していて面白かった記憶があります。

 しかしなんというか、たとえば2chとか、あるいはGigazineなどのブログメディア的なところにまとめられたものを見に行かないと目に入らなかった頃は、ネットのエイプリルフールも欲しい人の娯楽ニーズにあってたし、それ以外のみたくない人は見る必要なかったし、サイトはPVが増えて、コンテンツは面白いし、八方よかったわけですよ。

 今はヒドイ。ツイッターやらFacebookやらあるからやたらとタイムライン経由の共有で企業の嘘が見たかろうが見たくなかろうが、順番に視野に入ってくるわけですよね。これはつらい。もうきょうは僕タイムライン見てないですから。

 僕にとってWebはシゴトでもあるのですが、PVを増やすために仕事でエイプリルフールやるかといったら、やりません。いまどき、そんな一時のPV増なんて永続性がないのでおいしくないですから。翌日以降リダイレクトでどこかのページのSEOにするとかそんなこと考えてない限りはやりません。

 日本のネットの特に企業サイトのエイプリルフール、概ね糞つまんないし、なんというか来年以降はネットを見ないかもしれないなと。

 いや、お前のブログのほうがつまんないし写真が適当過ぎるだろ、というご意見もあるでしょう。それはその通りなんですが。
 テレビを見なくなるみたいな流れが昨今強いかと思いますが、主要な顧客層は皆タイムシフト的な状態で見ているのに、リアルタイムにこだわっているテレビ自体がなんだかおかしいとか、軽減税率で新聞業界もおかしくなってることに皆気がついてるとは思いますが、それと同じことがだんだんとネットで起こってくるような気がするんだな。

 エイプリルフールはネットを見ないという方向を推奨したいなと。
とはいっても全部見ないのは不可能ですから、あんまり見ない、くらいな。
だって、もうネットなんて、もう全部の大手代理店入ってきちゃってますからね。
 かつてのネットではないんですよ。

 ビジュアルやワードを主にした嘘、偽りなんて多くは広告代理店のほうからやってくるんですから。あとは企業ね。企業が堂々と嘘つく流れはもうやめてもらいたいな―。

 なんか取り返しのつかないトラブルでもないとやめないんでしょうね…。

写真:pixtaでもらえるときにもらったやつです

気が利くデニーズ(死語)

安堵する空間。
近くにあって助かっている。
昔からというか、このお店は平成7年から19年は利用しているだろうか。それより前は吉祥寺店とかを愛用していた。デニーズとロイホは、すかいらーくグループがジョナサンやガスト、バーミヤンと大衆廉価路線で行ってるのとは真逆で品質はあまり落とさないという点では素晴らしい。

あるときはテレクラで会ったスタイリストと
あるときは編集者と
あるときは外注さんとどうでもいいベンチャー企画を11時間くらいコーヒーだけで話し込んだり
あるときはヤクザしか店内にいなくなったり
あるときは気の狂った地方から出てきた人の対応
あるときは自殺未遂した人の対応
あるときは一人飯
あるときはメーカー対応
いろいろあった。

デニーズ自体も変わってないように見えて、場所を移動したりしている。たまに思い出したかのように大昔の森若香織のデニーズソングをかけたり、懐かしメニューをやったり、江口寿史があえて落とさないイラストを出したりするのは、熟年層支持者にはいいと思うんだ。

ぶれてるのはあえて。
セブンアンドアイ色が強いが、セブン銀行のATMも置いてくれれば便利なのになあ。

なにがあっても

 怒濤の一週間が過ぎていく。いつも怒濤なのだが。
 人はみんな順番にいつか死んでいくものなのだ、それが早いか遅いかだけで、この世の中のすべての人は必ず死ぬのだ。しかし、そんなことを意識しないように世の中はなっている。その事象の近くにいる人だけがそのことを意識するのだな。
 ということを考えながら歩いていると道を行くあらゆる人の死に顔を想像してしまう。失礼ではあるけれども。
 生きている人を見ながら時に亡骸を考えるのは、そういう趣味ではなく、僕の死生感なんだと思う。
 

日本独特の性愛歌謡


歌というものは、どうにもならない大きなことがあると自粛される宿命のものであるということは、必要不可欠なものではないのではないか

先の震災の時もその前の震災のときも、古くは昭和天皇がご崩御されたときにも、歌舞音曲は自粛を余儀なくされた。一方で歌は勇気や慰めのためのものとして何も今じゃなくとも、というときにも無理矢理に被災地にやってはチャリティ等の偽善的行為を行っていく。もちろんそんなことはなく、ちゃんと現地に向き合った人もいるのはわかっているが、しかし先の震災の時に率先して駆けつけていったのは多くが芸能人だ。確かに時間があるということもあるし、そこで芸能人の力が発揮できるのは確かだが、別にそこまで大挙していくことはないだろう、と思ったら、たとえば東北での講演会場等の利権がかんでいる場合もあるんだってね。なんだか。

恋愛がテーマなのはふつうなのだが…


そんなことはさておきとして、歌舞音曲というものは何かと恋愛がテーマであることが多い。これは万国に共通の傾向だが、日本の特に昭和歌謡は独特なというか、性愛を比喩したような歌詞が多すぎると子供のころから感じていた。まあかつての高度成長期は土建業の時代でもあり、男を働かせることに多くの重きを置いていた時代。だから男尊女卑で、しかも(働かせるためにそれらの描写にある程度の黙認があり)エロ大国であったこともあるのだろう。そのような曲の最高峰はテレビ東京のメガロポリス歌謡祭で見てさまざまな意味合いで画期的で衝撃を受け、自分でも大人になってからシングルを買い求めた坪倉伊織の「王様と私」の歌詞(なかにし礼)に象徴されると思うのだが、そちらは本人すらこの話をするのは嫌がっているようだし、かつ原盤を聞いている人も少ないので、これを議題にするのは難しいのです。たとえばわかりやすいものにしてみると、おにゃん子クラブの「セーラー服を脱がさないで」あたりならわかるだろうか。処女をテーマにしておいて最後には「食べて」である。それを女に歌わせ、男に大量消費させる世の中はくるっていた。食に性をのっけた歌詞は当時でもなんだかなあと思っていたのだが、まあ何十年もたった今頃言っても何だって感じでしょうね。それもわかる。でもやっぱり日本の歌謡曲っていうのは変で、特に年端もいかない若年女性アイドルの楽曲には性愛をテーマにしたものは昔のほうが多いが溢れてはいる。また成人が歌う歌謡曲に不倫をテーマにした曲が多いことも日本の特徴ではないだろうか。

まあ共通の誰でもが参加可能なストーリー性と夢があり、修羅場に感情移入しやすいのかもしれないが、それにしてもそれで「絆」だの「音楽は大切だ」とかいってる商業歌謡の世界には二面性があるというのも事実で、「音楽は素晴らしい」っていう建前と下劣な歌との矛盾があまり好きになれない。

業界で必ず行われる音楽イベント(日テレの音楽の日とか各局の長時間のああいうやつ)も、まったく好きでないし、あんな音楽不振の世の中でそんな音楽漬けイベントを行おうというのは何か大きい力が働いているとしか思えないんだよね。

いまでもクリーンというのは建前で


もともとは歌謡の世界はその興行性から筋モノも多い世界で、よく言われるのは神戸のホンモノだった美空ひばりの事務所だが、だんだんと事務所はそうじゃなくてこわくないよ、地方興行業者のほうが本物みたいな時代を経ていまでこそおおむねクリーン、芸能事務所は新卒社会人が働いている会社という体裁にはなっているものの(むしろもっともアンダーグラウンド業界筋と付き合いの薄いジャニーズの恫喝のほうが凄いということがこないだのSMAPの生放送会見で露呈したが)、業界団体の傘下の人たちのほうが合法的に裁判などで筋的な圧力をかけるような仕事になっていたり、僕が知る運転手、マネージャー上がりの大物事務所会長も元は堅気じゃなかったりとかします。だからまったく業界的にはいま表立ってそっちの人は出てこないですけど、まあなんかあったら出せる状態にはある、密接交際者だと紳助のように追い出されちゃうので綺麗なことにはなってるけど。暴対法の改正以降に大きな問題は起きてませんが、間接的にはクリーンじゃないですよね。ああいう人たちを集めて年に1回NHKは紅白をやってますし、たぶんNHKがたいした身体検査もせずグレーゾーン芸能人を呼んでいるうちは、芸能界も永遠に粛清されないでしょう。実力主義なのはいいことなのですが。

話がそれました。まあ昭和演歌なんかだと、実業家という体のスポンサーがいるとかのケースもあったりしますけど、やはり歌詞が性愛に偏りやすいのは、作詞家が遊び好きなのか、それともそれら業界人たちの自堕落な大人の世界の表現を追求しているのかのどちらなのでしょうか。

写真:個人的に好きすぎる「王様と私」(テイチク)

タイトル入れ忘れた/テンプレート変更した

日記のデザインを変えた。Bloggerはアクセスが低めになることと、テンプレートで携帯版を使うと広告が2枠固定でまたぜんぜんモバイルデザインテンプレがいじれないのが不満だったのでそろそろWordpressに移ろうかと思っていたのだが、レスポンシブルにすればいい(広告が増やせて、デザインんも融通効く)とわかったので、とりあえずレスポンシブルの外部国産テンプレートでしばらくは行こうと思う。上手くいかなかったらまたWordpressに移す。写真はさっきまで使ってたデザイン。

日常と萌え墓妄想

妻帯者になって何年が経つだろうか。いまだ数年で計算すればすぐわかるのだが考えないことにしている。時間が過ぎるのはあっという間だ。
30代くらいから周りの人がぽつぽつと亡くなり始めた。オタク系とかエディター系や作家の人たちは食生活も時間帯もひどいから早く寿命が来やすい。
もうそろそろ以前から私が提案している萌え墓が普通になってもいい時期だ。
といっても自分自身はオタクにみられがちだが、実はぜんぜんマニアじゃない。マニアだとしたらインターネットくらいか。オタク産業の未来を心配しているのと、ビジネスプランを考えるのが好きなだけなのだ。
dmmMakeに墓石持ち込んで作るベンチャー企業が現れないものか。もっとも墓石産業はその成り立ちからまったく異業種からは入り込めないので、萌え墓がなかなか実現しないのだが。
あとは老人ホームのギークハウス的なものか。マニア趣味の人向けに高速回線と映像環境完備のオタクマンションなどを作って集住することを僕は以前から勧めているのだが、基本的にオタクは増えないので、老後も寄り合いがいると思っている。
そんなどうでもいいことを考えながら、デニーズでパスタを食べている。
問題なのは一昨日くらいか、ビーフシチューオムライスを食べていたのだが、ご飯があることに気がつかないまま食べていたことに驚いた。呆けたのかなと思ったが、忙しいので脳がなにも考えていないだけなのだ。
多忙はうつになっている暇がないのでいいといえばいいのだが精神的には蝕まれていく。なにもしないで暮らせるようになりたくて、僕は地道にどうでもいいネットコンテンツを作り続ける。

イラスト:いらすとや

モバイルアプリ


Bloggerのモバイルアプリを入れた。
タイトルから本文に動きづらいなど、偉い使い勝手は悪い。

ネットのネタのソースにテレビがネタ元の記事が多いからといって、皆はテレビに従属していない

テレビ全盛期はとうに過ぎて、いまの中間層というか、おっさんくらいの人たちは、テレビに時間も夢も奪われていた高度成長期の人たちではないので、テレビに時間を奪われたくないと思っています。
今、モニタ画面上はテレビを含む、ゲームやらアプリやら、ブログやらメディア同士の時間の奪い合いとなり、モニタの外にある本などの市場は2割くらい減らす勢いで落ちています。さらに30代未満の人々はパソコンさえ使わなくなり、ここ1年でPCからのアクセスが2割3割まで減っているのは、スマホとPCに対応したネットサービスやプロよりのブログを展開している人ならおおむねわかってると思いますが、まあそんなスマホ時代の中、テレビに依存したコンテンツはまだネットでは鉄板といわれていますね。ライトユーザーが見ているとでも思っているんでしょうが、真実は違うのです。
特に最近ネットニュースで、作り手が予算対効果を考えた結果、テレビからの書抜き記事が流行っています。ニュースサイトにいくと「マツコが激怒」とかどうでもいいこと書かれてますよね。ああいう記事が多いのはテレビがやっぱりソースとして優れている証拠、みたいに(テレビの作り手は)思いがちですが、そうでもないのが現実でしょう。単に、ネットで記事を書くときにコストがかからない上に安全パイなのが一度放送を介したネタだから、書く側は書いているのです。放送できるものは、放送局から無断転載で訴えられるリスクはわずかにあるものの、まあ画像は他のところから持ってきたり、引用の体の着くHPからの画像で、ネタは他愛のないやつだと局や事務所が怒るようなことはないわけです。作る側はローリスクだからやってる、タイトルに有名人の名前があるとポータルの見出し担当も、読者もなびくのわかってますから、というだけなんだけど…。
一方のテレビ局側も芸能人側・事務所側も、認知につながるということでは、あまりひどくない限りは黙認しています。そしてテレビの人たちがそれらの捨て記事ででもYahoo!ニュースのTOPに載りたいと一喜一憂している間に、もう市場壊れてきてますよ。一般の客の人たちがそれらのどうでもいいテレビから書き起こしたネットニュースを見る理由は、テレビを見てる時間がないからで、テレビに興味を強く持っているわけではない。要は最近はどうなってるか程度の世間との繋がり上の確認なわけです。それでもテレビの作り手の人は、まだネットはテレビばっかりなんだ、で安心するわけです。ネットはテレビに従属してるじゃあないかと。
Webの書き手、読み手、テレビの作り手、皆違うことを考えているのが本当のところなわけで、このズレにテレビ側の人はあんまり気づいてないですよね。
テレビの作り手は大至急スマホで本編見れるようにシフトしていかないことには、ホントにテレビは商業広告媒体としては、終わってしまうのではないでしょうか。テレビなんていまやおっさんでもタイムシフトしてしか見ないですけど、若い子は見てないですし、敵意持ってますよ。ゴールデンタイムのフジテレビなんて堂々1桁さえ連発してますからね、まさにシュリンクしてるわけです。
まあフジテレビが堕ちたのは嫌韓でもコンテンツのズレでもなく、チャンネルの並び順でデジタルになったらチャンネル順が変わって、キー局では8chは一番右(テレビ欄でもEPG電子番組表でも)にきてしまったことが一番大きいのですが、逆にもとからUHFだったMXや、地方U局(テレ玉、TVK、チバテレ)は地デジのおかげでキー局と地続き(かつ、東京の一部ではそのまま見られる)になったため、以前よりは見られているのではないでしょうかねえ。まだ媒体としては、それらのマイナー局のほうが未来があると思います。上にしか進みようが無いですからね。キー局の未来はといえば、4K投資とかでいろいろと面倒なわりには儲からなくなっていくと思うのです。まあ其の頃にはネットフリックスその他で番販が出来るようになって2次収入で食いつないでいくのかもしれませんが、未来は明るくないです。

イラスト:いらすとや

ゆるやかな死

消費税がゆるやかにみんなを殺していく。原価構造に大きな影響を与えている。ツイッターでもよさそうな140文字以下の投稿。

ところでこの本はいい本ぽいんだけど忘れそうなのでここでメモっとく。

イラスト:いらすとや